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管理人の幼少期からの、山あり谷あり紆余曲折の人生。
Zero-One Projectがなぜできたのか?

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元々ブログも書いたことのない私が、何故こんなことをするようになったのか・・・?
根底にはある想いがあります。
幼少期から人生山あり谷ありを経験し、紆余曲折しながら全ての体験を今に活かし、振り返れば「無駄なことはない」と思えるようになりました。

管理人のプロフィール

幼少期〜高校生時代

幼少期〜小学生時代

田舎町の次男として生を受ける。
病弱だったらしい(笑)

両親が共働きだったため、幼少期は母親が働く会社の託児所?のようなところで過ごし、その後は保育園に入園。
物づくりが好きな子どもだった。

小学校入学前の1年を幼稚園に入れてもらい、他の子ども達との協調性を学んだ。
ほとんど記憶はないが、あまり目立たない普通の子どもだったと思う。

小学生になると、ちょっと活発な子どもになり、学級委員長になったり、バスケットボール部のキャプテンをするようになる。
気付いたら、いつも集団の中心にいるようになる。

中学生時代

校内テストでは国語以外は100点(平均点98点)しかとったことがなく、文武両道の神童として育ったので、すれ違う知らない人に声をかけられるような子どもだった。

中学生時代はバスケットボール部に入部したが、健康上の理由で団体練習が無理でドクターストップがかかる。
そこで、個人競技の陸上部に編入し、100m走、110mハードル、走り高跳びを選択。
朝の授業前や昼休み時間は、毎日友達とバスケットボールをやって汗だくになっていた。

そして、授業中はほとんど「先生の許可を受けて」寝ていた(汗)。

Why?

田舎町の学校だったので、学力はそれほど高くなく(だから毎回100点をとれたのだが。。。)、高校で進学校へ進学するためには学校の授業では無理だった。
そんな理由から、先生から「あなたに合わせて授業はできないので、自分の勉強は自分でして頂戴。寝てても良いから。」というお墨付きをもらっていたのである。

したがって、私の中学時代の生活は
6:00〜7:00 起床、家族と朝食
7:00〜19:00 登下校、学校生活(睡眠)
19:00〜21:00 家族と夕食、温泉
21:00〜6:00 家族の就寝と同時に自宅学習開始
という感じで、昼と夜が完全に逆転した生活をしていた。

良いか悪いかは別として、
自分の置かれた環境でできることはそれしかなかったのである。

高校生時代

高校は無事に兄が行きたくても行けなかった県内一の進学校に合格し、兄のリベンジを達成。

兄は当初別の高校に電車で通学していたが、車内でカツアゲにあったので、私は初めから学校近くで下宿するようになる。

育ち盛りの子どもに下宿のご飯では足りず、カセットコンロでモヤシを炒めて空腹を満たしていた。
両親が心配して毎週末に来てくれて、外食に連れていってくれた。
あの頃の思い出は鮮明に覚えている。

その頃、今のパソコンの前身であるPC-88やPC-98に触れ、ソフトウェアの改造などに興味を持つ。
自分の部屋で毎夜毎夜「大戦略」というゲームの改造をしていた(笑)
今では様々なツールがあるようだが、その走り?をしていた。

高校では陸上部に入部したが、間もなく生徒会に誘われ、卒業するまでずっと生徒会活動に追われる。
文化祭と体育祭が一緒になった1週間続く伝統の学祭を成功させるために、学校に泊まり込みしながら準備をしたので、終わった時にはもの凄い爽快感だった。

今にして思えば、「生徒会をしていなかったら、どんな人生になったのだろう?」と思うほど、勉強をそっちのけで生徒会活動をしていた。

大学受験失敗〜サラリーマン(本州)時代

受験失敗〜就職〜浪人時代

歴代の局長は早稲田大学への学校推薦入学が既定路線だったので、受験勉強をする必要もなかったのだが、家庭の経済的理由で私立大学(ましてや東京)への入学は断念。

この時に、「経済的理由で夢を諦めることのないようにしよう」と決意。
お金への執着はこの時に生まれたのであろう。

その後、医学部を目指して受験をするものの、見事に失敗。
浪人するお金もないので、親戚の家の子どもの家庭教師をしながら、住み込みで鳶職をするようになる。
これはこれで二度とできない経験だったので、今にして思うと貴重な体験であった。

人生最初の挫折である。

12月頃になり、積雪ともに鳶職の仕事がなくなったので、実家に戻り受験勉強を始める。
受験勉強期間2ヶ月。
しかし、世の中そんなに甘いものではなく、再び受験失敗。

親に「どこでも良いから入学して!」と言われ、困り果てる。

大学受験には願書が必要だが、当然願書はない。
しょうがないので、兄が通っていたとある国立大学の二次募集願書を急いで送ってもらい、願書を提出して合格。
当時は共通一次試験結果だけで、二次募集の合否が決まった。
しかし、喜びは全くない。

人生二度目の挫折である。

大学生時代

元々志望校ではない大学に入学したため、もちろん勉強をする気は全く起きず、今思えば講義を受けた記憶も、試験を受けた記憶もほとんどない。

毎日毎日アルバイトに明け暮れた大学生活であった。

最初のアルバイトは「ミスタードーナッツ」の店員。
深夜から朝までのアルバイトでそれなりに楽しかったが、飲食店の実態を知ることになり、しばらくドーナツは食べたいと思わなくなった(笑)

その後、学習塾講師の先輩に誘われ、「塾講師」のアルバイトを始める。
これが、今の自分を作る転機となった。

この当時の塾講師アルバイトは、実際の授業前の「勉強会」と称する先輩講師前でのDEMO授業が必須であった。
それが毎週深夜から朝まで続き、もちろん無給である。
今の時代ならパワハラとか言われて大問題になることだが、当時はそれが当たり前であり、先輩が後輩をいじめる場でもあった。

そして「飲み会」
後輩がゲロをするのが先輩達の酒のつまみであった。
今考えれば、よく死人が出ずに終わったという感じである。
しかし、そこで鍛えられた私は「滅多に酔わないコストパフォーマンスの悪い男」に変貌するのである(笑)

こうして、数十人〜数百人の前で授業をすることに慣れてしまったため、セミナー講師も緊張はしない(人前に出る前までは緊張しているw)。
これが、今の特技を作った原因である。

特技を身に付けた!
・人前で話す
・酒を浴びるように飲む

また、将来はPCの時代が来ることを先読みし、当時の金額で120万円の学生ローンを組んで、最新のPCを購入し、PCの勉強をするようになっていた。

特技を身に付けた!
・PC操作ができるようになった

サラリーマン(本州)時代

大学時代は「橋梁研究室」に在籍していたため、教授の推薦で東京の大手橋梁メーカーに就職することとなった。

最初の1年は全国各地の事業所を同期(32名)で周りながら、研修を行った。
東京、神奈川、栃木、愛知の事業所を転々としながら、会社のことを学んでいった。

その間、同期との親睦も深めていくのだが、研修中に起こるある事件で「人間不信」に陥る。

それが原因で拒食症になり、体重はみるみる減っていき(今なら羨ましいが・・・)、ついには自殺まで考えて深夜の山奥の滝のそばまで来ていたこともあった。

ある人の支えで、なんとか1年でそれを乗り越えることができ、仕事に復帰。

同期の中でも物怖じせず、臨機応変になんでもこなしたので、普通は中堅の設計士が派遣される大型プロジェクトのJVに半年おきに転々と参加しながら様々な設計に携わる。

首都高速、名古屋高速、阪神高速、本州四国連絡橋公団などの技士と打合せを重ねつつ、相手を如何に納得させる資料を作るかを学ぶ。
この頃は新しい発見ばかりで仕事が一番面白い時期であった。

自宅に帰ると毎日0:00を超える日々を5年ほど続け、心身ともに疲弊していた時に、上司が部下にとった態度に嫌気がさし、いつか退職することを決意。
今思うと若気の至りだったが、今の自由な生活に繋がるので、結果的には成功だったと思う。

特技を身に付けた!
・プレゼンテーション資料を作れるようになった

結婚〜離婚後

結婚〜離婚

どん底期を支えてくれた彼女との結婚を機に、生活を落ち着かせようと思っていたところに、単身赴任の多い企業から単身赴任のない企業(建設コンサルタント会社)にヘッドハンティングされる。

マンションを用意され、係長待遇での転職であった。
最先端の設計から地方の普通の設計に変わったので、特に刺激もなかったが残業も休日出勤もあまりなく、のんびりとした生活を送っていた。

しかし、4年目にとんでもない事件が勃発。
課長に昇進し、何事もない日々を過ごしていたが、ある日突然会社が過去に設計した物件が会計検査の対象になり、設計ミスが発覚。しかも2件同時。
1件だけでも対応に大変なのだが、同時に2件。
しょうがないので、課長2名でそれぞれ1件ずつを対応した。
約半年間午前様の仕事をこなし、休日返上で、私が対応した物件は修正設計で何とかなりましたが、もう1人の課長が対応していたもう1件は途中でキブアップ。
途中から私が引き継ぎ、これも修正設計と補償工事で何とか対応。

心身ともに疲れ果てていたある朝に妻に突きつけられたのは、突然の「離婚届」。
それまで喧嘩もしたこともなく、青天の霹靂とは正にこのこと。
半年間家庭を放置したいた間に色々あったようです。
会計検査対応もまだ終了しておらず、公私共にどうにもならない状況に。
妻の目つきが正常ではなく、このまま放置できないので、週末に片道8時間の妻の実家に単身で訪問。
「落ち着くまで実家に戻して欲しい。」と両親にお願いしたら、「うちの長男も浮気が嫁にばれて離婚協議中でそれどころではないから、そっちで何とかしてくれ。」と。

どんな親だい!

落ち着くまで別居も考えたが、色々検討した結果、離婚することに。
幸い2人の間に子どもはいなかったが、貯金も全て使い果たされ、預金通帳はゼロに。
慰謝料も貰わず、子供もいなかったため、そのまま円満に離婚することとした。

人生三度目の挫折である。

離婚後

ここまで前置きが長くなったが、これまでの紆余曲折と離婚後の経験が今の【Zero-One Project】の根本を作ったことになる。

自分が離婚するまで気付かなかったが、離婚してみたら自分の周りに小さな子どもを抱えたシングルマザーが沢山いる事に気付いた。

彼女達は子供を託児所に預けたり、児童館に預けたりしながら、限られた時間、限られた職種で生活をしていた。
男性で子どももいない自分には想像もしなかった環境の中で、一生懸命生きている姿に心を打たれた。

朝、子どもを児童館に預けて保険の営業に行き、夕方迎えに行って連れ帰り、その後も遅くまで子どもと一緒に営業回りしたり、資料をまとめている生保レディー。
同じく、子どもを児童館に預けて会社に通勤し、夕方迎えにいくパートタイマー。
その他にも、あの人もそうだったのか、この人もそうだったのか、というように身近に沢山いました。

その苦労を目の当たりにした私は、単純に「在宅で自分でできる仕事を創生すれば、問題を解決できるのではないか?」「政府ができないなら、自分の周りだけでも自分で何とかできないか?」という想いにかられた。

それからは、在宅で子どもの面倒を見ながら、時間や場所に縛られずにできる在宅ワークがないかどうかを考えるようになった。
これまで、普通のサラリーマンしか経験したことのない私にとっては全く未知の世界だったし、良いアイディアが浮かぶ筈もなかった。

インターネットで色々と調べていると、甘い言葉で誘惑するセールスレターが沢山あり、「これ本当か〜?」というものがほとんどであった。
しかし、自分で体験してみないと何事もわからないので、知らない世界に飛び込んで自分で体験してみることにした。

それが、これまでの人生を180度変えることになるとは、この時はまだ思いもしなかった。

アフィリエイトとの出会い

そこで在宅ビジネスのことを調べた結果、辿り着いたのが「アフィリエイト」であった。

ブログも書いたことのない私だったので、先ずは自分がその仕組みを学び、それを伝えるために入ったのがアフィリエイト塾であった。
かれこれ10年近く前のことである。

塾で学び始めて、レンタルサーバー、独自ドメイン、メールマガジンなど、それまで知らなかったことを学び、インターネットの可能性を感じたものであったが、そこに大きな落とし穴があった。

私が学んだのはいわゆる「情報商材」という商品を扱うアフィリエイトであった。
アフィリエイトは「自分の気に入ったものを他人に紹介して、紹介料を得る」というものであったが、そもそも「情報商材」には実現性の低い詐欺まがいのものが多く、とても他人にお勧めできる商品はほとんどなかったし、実際に「初めから詐欺目的のもの」もあった。

泉○司やら蝶○舞やら、数え切れない程の詐欺まがいの人が暗躍する時代であった。
今でもやってるらしいが、ネットで叩かれ昔ほど影響力は無くなったようである。

中にはいくつか本当に良いものもあったので、それを紹介したことはあったが、通年して紹介できるほどのものはなく、安定して収入を得ることはなかった。
いつしか、「アフィリエイトをしないアフィリエイター」と呼ばれるようになる。

しかし、私の目的はアフィリエイトをすることではなく、在宅ビジネスの手法を学ぶことであったので、アフィリエイトのために必要なノウハウは後に活かされることになった。

同じアフィリエイト塾に在籍していたPC操作が苦手な年配の方や女性の方を始めとする仲間は、PC操作や塾で出される課題に全くついていけなかった。
そんな中、塾からは東京での合宿レッスンの提案。
入塾代だけでも数十万円かかったのに、合宿レッスンでも数十万円。
しかも、北海道から東京に行くには、交通費、宿泊費は別途自費がかかるため、とてもではないが払える金額ではない。
元々、お金の余裕がなくてアフィリエイト塾に入った人達なので、これ以上の出費は厳しい。

よって、北海道のメンバーのために東京へ行かなくても良いように、課題をクリアするためのオフラインセミナーをボランティアで開催するようになった。

仮想通貨(暗号資産)で天国から地獄

投資家へのシフト

アフィリエイトのボランティアセミナーを開催して数年。
大きな壁にぶち当たった。

情報商材のセールスレターには「誰でも簡単にできる!」と書いているが、「ほとんどの人には難しく、できる人はほんのわずかな人だけ」が実態であった。

更に、後からインフォプレナーと一緒に仕事をすることになり(LP作成依頼)分かったことであるが、彼らは初めから「みんなが誤解する」ような表記をして、暗に騙してお金を搾取している集団であった。

「このままでは無駄な時間を費やすだけ・・・」

そう感じた私は、どうすれば良いのか悩んだ挙句、あるご縁であった投資家から聞いた一言に衝撃を受けた。

「投資は勝つも負けるも結果は一心同体」

確かに、アフィリエイトには個人のスキル差が生じるが、「投資」は皆んなが同じものに投資したら、勝つにせよ負けるにせよ、皆んな同じ結果になるのである。

当たり前といえば当たり前の話だが、その頃の私には「眼から鱗」の言葉であった。

Rippleとの出会い

「投資先さえ間違わなければ、皆んなが同じ結果になる」というのは、私の悩みを解決できそうな言葉だった。

そこで、「何に投資すれば良いのか?」「お金のない人でも小金持ちになれるものはないのか?」ということで探し当てたのが暗号資産(当時の仮想通貨)であった。

2014年からBitcoinとRippleに注目し、費用対効果や将来性を考えて選択したのが、当時ほとんどの人が注目していなかったRippleであった。

結果から言うと、2014年当時60,000円程度だったBitcoin(BTC)が約37倍の220万円になり、0.5円程度だったRipple(XRP)が800倍の400円になった(2017年の年末から2018年の年初にかけて)。予想は的中した。

更に当時はスキャルピングで簡単に増やすことができたので、半年で元手10万円10倍の100万円になっていたので、これほど簡単に資産を増やせるものはなかった。

100万円がそのまま残っていれば8億円になっていたのであるが、またまたある事件が勃発する。

ハッカーとの闘い

当時はまだまだ仮想通貨に関するセキュリティーが甘い時代であった。

その日もトレードを行い、毎日数%の利益を上げていたのであるが、ついつい取引所の名前を語るフィッシングメールをクリックしてしまったのである。

その結果、気付いた時には知らないアドレスに送金されてしまっていた。
結果論であるが、ハッキングされていなければ最大8億円をハッキングされてしまったことになる。

暗号資産は増やすのも簡単だが、無くすのも簡単である。。。。

実際に失くした元金は10万円だったので、生活に困ることはなかった。
失くしたものはまた増やせば良いので、暗号資産を色々学び始める。

1.5倍〜2倍程度であれば、数ヶ月で増やせるものはまだまだ沢山あった時期でもあった。

日本史上最大の詐欺コイン?で学ぶ

きっかけ

Rippleで一時的に大儲けしたことのある私に「買い方がわからないので、自分の分も買って欲しい。」という人が後をたたなかった。

当時は「Ripple Trade Japan」という国内で初めてRippleの販売をしていた会社が会員のお金を持って逃げてしまったり、まだまだ信用のおけない知名度のない会社がRippleをネットで販売している時代であった。

更に私自らがハッキング被害を受けたこともあり、とても知人のお金を預かって購入してあげる気にはなれなかった。

そんな時である。

「48Holdings」という会社がRippleを代行して購入してくれる(実際にはRippleと1:5で紐づいたClover Coinというものを販売)という話が舞い込んできた。

Rippleが5倍以上になれば元金以上であったので、当時50倍(元金の10倍)は堅いだろうと思っていたため、「個人的には預かれないけど、その会社に依頼すれば?」ということで勧めてしまったのである。

万が一何かあったとしても、「国内の会社であることと、XRPで保全しているため資金がなくなり返済不能になることはない。」という読みをしていたのもある。

途中経過

実際、始めた頃は0.8円/XRPだったため、4.0円になれば元取り、それ以上になればプラス収支となるはずであった。

1年ちょっと経ったところ(2017年2月くらい?)で、XRPは20円くらいまで値上がりしてしまったので、その時点で約5倍の利益になっていた。

20円が5倍の100円以上(当初の100倍以上)になるのには確信が持てなかったことと、リスクが高くなるため、値上がり後に勧めることはなかったが、値上がりに味をしめた人達が爆買いを始めていた頃であった。
XRPは50円くらいまで上昇していた。

私は徐々にフェードアウトして、その会社とは距離を置くことになった。

その後事件が勃発するのである。

2017年10月に消費者庁から行政指導が入り、半年の業務停止命令を受けてしまった。

私としては既に活動をしていたわけではないので痛くも痒くもなかったが、それを機に予想だにしないことに発展していくのである。

XRPで担保されたClover CoinをXRPと交換できたのはわずか3日間。

その後は「金融庁からの指導がどうのこうの」と理由をつけられ、XRPと交換ができなくなってしまった。

その3日間で運よく交換ができた知人は家を建て替えたりして大きな利益を得ることができたが、ほとんどの人はタイミングを逃してしまい現金化(XRP化)ができなくなってしまったのである。

その後、消費者庁からの指導で会社は返金に向けて動き始めたが、それも1ヶ月ほどで返金されなくなったため(そもそも返金条件がおかしかった)、自分の紹介者を守るためにも弁護士に依頼して交渉することにした。

 

集団和解交渉

弁護士との数回の協議の中、

  • 裁判に持ち込んでXRPを取り戻すか
  • 裁判に持ち込まず、現金を返金してもらうか

という2択に迫られることとなった。

  • 裁判に持ち込んだ場合、解決に数年かかり、最悪その間に会社を飛ばされたら何も戻ってこない可能性がある。過去の詐欺事件では、このような末路をたどり、名誉を勝ち取ることはできても現金は取り戻せなくなることが多かった。
  • 裁判に持ち込まず和解交渉した場合、早い段階で現金を取り戻すことができる可能性が高い。

「欲張って数百倍になったXRPを取り戻す」か「欲張らずに現金を取り戻すか」という2択は非常に難しい選択であったが、失くす可能性が高いものより、確実に返金される方を選択した。

結果的に我々のグループはいち早く返金してもらうことができたため、結果的に選択は間違っていなかった。

その後、まだ返金ができていない他のグループの人達からの依頼も受け、第2弾の返金は完了し、現在第3弾の計数百名、10億円を超えるであろう和解交渉を進めている。

まだまだ第4弾に入れて欲しいという依頼は沢山きているが、全国的に訴訟が起きていることを考えると、そろそろ危険水域に入ってきたのではないかと推測される。何事も迅速な対処が必要である。

投資には確実なものはないが、万が一のことを考えると資産価値のあるものを所有していて、事業実態のある会社を選ぶことが重要である。

そして現在。。。

怪しい投資話はキリがない

バブルが弾け景気が衰退してから、怪しい投資話は枚挙にいとまがない。

投資話というより投機(ギャンブル)である。

実態のない会社、実態のない事業、実態のない収支計画。

実態がないほど何故かうまくいっているように見えるから手に負えない。

新型コロナウイルス感染症のパンデミックの中、国内外問わず(海外は特にひどい)減収減益を続けている企業が多い。

コロナ倒産する企業も増え続け、今後増えるであろう連鎖倒産を考えるとどれほど経済が衰退するかわからない。

実態があればあるほど、外的要因を受けるのが当たり前である。

しかし、実態のないマネーゲームは不景気であればあるほどお金が集まり、集まったお金をトップが出金して、それを餌に更にお金を集めるという完全なネズミ講。

実態がないため必ず破綻し、最終的には会社が逃げ、トップだけが紹介料という名目のボーナスだけで利益を得る。

投資したものの価値は上がらないどころか返金すらままならないのである。

しかし、会社には連絡がつかず、トップとも連絡がつかず、そのまま泣き寝入りで文句も言えない状況が続き、いつの間にか諦めるしかないものがほとんどである。

私も知人の紹介で溶かされた資金は全部で数百万円はあるだろう。

付き合いで少額購入しても、数が多ければとんでもない金額になってしまう。

それはそれでお金を払って自分の経験をさせてもらったと前向きに考えなければならない。

そもそも「楽して稼ごう」と思ったら、それなりのリスクを覚悟する必要があるということである。

今でも毎日のように怪しい話が舞い込んでくるが、もうそんな話に付き合いでも乗る気はない。

自分で稼いで自分で増やしたほうがよっぽど堅実だし、確実に利益が積み上がっていく。

特に複利でレバレッジを効かせようと思ったら、堅実なものしかあり得ない。

確実に稼ぎ、堅実に増やす

確実にお金を稼ぐためには「お金と何かを交換」する必要がある。

そもそもお金とは何かと交換するためのツールであり、交換するものがなければお金を得ることはできない。

一般的なサラリーマンは「自分の時間と労働力」をお金と交換しているため、確実にお金を稼ぐことができる。

では、それ以上稼ぎたい場合はどうすれば良いのか?

自分一人の時間も労働力も限界があるので、それ以外を見つける必要がある。

時間をかけず、労働力をかけず、資金をかけず、仲間の力を借りて支え合っていくことが重要になる。

そのために、

  1. お金をかけず経費削減する
  2. 経費削減をビジネスとして収入を得る
  3. 取次店として大きな収入を得る
  4. MLMで継続的な権利的収入と人脈を得る
  5. 堅実な運用でレバレッジをかけて増やす

という順に進めていくのが良いであろう。

経費削減で毎月1万円前後を節約し、それをビジネスとして毎月10万円前後を稼ぎ、取次店としてたまに数十万円を稼ぎ、MLMで毎月数十万円の権利的収入を得る。

  • 100万円の運用資金を月利10%で3年間運用できたら、3年後には3,000万円を超える
  • 毎月10万円を積み立て月利10%で3年間運用できたら、3年後には3,000万円を超える

3,000万円を月利1%の元金保証のゴールドファンドで運用すれば、毎月30万円が確定するので、年金を補填する老後資金としては十分である。

資金のない人はギャンブルをして逆に資産を失くしがちではあるが、確実に副収入を得つつ堅実に複利で運用することが「急がば回れ」である。

そのためには、「確実に収入を得る方法」と「堅実に現実的な利回りで運用する方法」を知ることが大事である。

そのために【Zero-One Project】がスタートする。

 

堅実に資産運用する

企業に投資することはリスクがあり、金融機関での運用は利回りが悪すぎて、小資金を増やしていくには不適切である。

また、日本円はこれからインフレリスクが高く、日本円での保全は危険である。

したがって、できれば外貨預金や暗号資産(USDT)での保全が理想だと考えられる。

今現在(2021年2月)最も確実なのはETHのホームマイニングであり、マイニングしたETHをUSDTに変換して保全するのが良い。

マイニングというと巷ではプールマイニングのMLMがあるが、ホームマイニングよりも利回りが悪い(紹介コミッションで目減りする)ためお勧めはしない。

ETHの値上がりを期待するならETHのまま保全しても良い。

ETHの価格やディフィカリティーにもよるが、月利5%〜10%での運用が可能である。
一番のメリットは自宅でマイニングをして、毎日自分のウォレットに入金されるため、出金停止などのリスクがないことである。

ホームマイニングだけでは運用資金に限界があるため、その他法定通貨や暗号資産のトレードなどに分散し(ポートフォリオ)、月利5%〜10%を常に目指す。

これはよくある元本償却型(元本が戻らない)ではなく、元本償還型(元本が戻る)であるため、元本償却型に置き換えると月利13%〜18%に相当するので、かなりギリギリまで挑戦した配当になる。

いち早く3,000万円以上の資金を作り、その後は安定資産である金へ投資し、月利1%の安定運用で毎月30万円の配当を受けるのが良い。

【Zero-One Priject】で資金ゼロから毎月十万円前後の副収入を作る。

そして【One-Billion Club】がスタートする。
得た副収入にレバレッジをかけて新札発行までの3年で3,000万円に増やし、デノミにより円の価値が下がる前に安定資産である金に投資して月利1%を貰い続ける生活を送るようになる。